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(福井村) 40周年記念誌 2002年6月15日 発行 |
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刊行のごあいさつ 40周年記念祭祭典委員長 2002年7月 |
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| ピニャール移住地が入植40周年を迎えるにあたり、今日までの歩みを纏め後世に伝えるべく「移住地40年の歩み」として小史を刊行することになりました。 ピニャール移住地はブラジル福井県人会が、日本人移住50周年の記念事業として母県に献策したことが発端となり、実現した経験から福井村とも呼ばれており、1962年12月、福 井県から3家族が第一陣て入植して始まりました。当時、祖国は戦後経済の復興の兆しがあり、移住者も減少して北陸三県にそして現地での募集を経て一応満植となりました。 以来四十年、移住事業団、福井県、南伯農協と関係機関のご支援のもと、日系移住地として堅実なる発展を遂げてまいりましたが、世代の移りかわりの時期となり第一陣として 入植された方も織田真由美さんのみとなり、この機会を逃してはとの強い責務から少ない資料や証言、写真等を纏めると同時にご支援を賜りました関係者にご寄稿を頂き日伯両 語での刊行と致しました。戦後移住者が大勢であった当時からみますと今日では一家の中心は二世の時代に移り入植者の移動も繰り返されましたが、確実に優秀な後継者も 育っており彼等がこの小史をひもとき、先人の意志を受け継ぎ新しい時代の農業農村の発展に意欲的に取り組む良き刺激になることを期待するものでありす。 |
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入植40周年を祝う 福井県知事 栗田 幸雄 2002年7月 |
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| コロニア・ピニャール(福井村)が開村40周年を迎えられましたことを心からお祝い申し上げます。私は、24年前、初めて訪伯団長として訪問させていただいた際、大歓迎を 受けたことを思い起こし感動を新たにしております。コロニア・ピニャールは、福井村建設構想を建議した在伯福井県人会ならびに関係各位のご熱意とご支援により、現在の国際 協力事業団の直営入植地として出発されました。以来、福井県人と他県から入植された方々が新天地に力を集結し、ブドウ、びわ をはじめとする果樹栽培の普及定着に精励 され、サンパウロを市場とする都市近郊型農業を確立されましたことは、誠にご同慶にたえません。また県としてもコロニア・ピニャールの皆様の活動拠点となる文化センターや さて、40年の歳月は、孔子の言葉「四十而不惑」を思い起こさせますが、昨今、移住世代の交代や現地への同化といった日系社会を取り巻く状況の変化が指摘されておりま す。この記念すべき入植40周年を機に、来し方を振り返り、次世代に惑うことなき発展への道しるべを記念誌の刊行などで示すことは大変意義深いことであります。現代は交通 網や情報通信技術等の飛躍的な発達で、人物、情報等が容易に国境を越えて行き交う時代です。福井県とブラジルの新たな交流、協力関係、発展に向け、コロニア・ピニャー ルと本県の次世代を担う青壮年が連携を強めていくことを切に念願する次第であります。 2002年7月吉日 |
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戦後、移住の再開により移住振興会社(現国際協力事業団)ではブラジルの各地に移 土地購入等諸般の事情により、JICA直轄のピニャール移住地として、時の南伯農協 1962年12月3家族14名がその第一陣、草分けとして入植、開拓営農に入る。 時を同じくして祖国の復興が軌道に乗り後継移住者が減少したため、福井村では北
その後、南伯農協中央会の企画による第2ピニャールが隣接地に造成され、第1第2
福井県では県人入植者に土地代金の一部を補助したり、電気導入に会館建設、日本
ピニャール移住地の今日あるは、こうした福井県を中心としたJAICA、南伯農協中央 |
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ピニャール移住地の推進母体である文化体育協会は入植と同時に自治会が結成さ 1976年6月、文化体育協会と改称、登録団体となり現在に至る、文化体育協会では 1997年にはJICAの支援を得て地域の日本語モデル校を開校。日本語教育を通して 当協会では移住地内の道路改修の取り組み、1992年には州道より村の中央に至る 1963年初期、入植の20数家族で創立された当協会は、現在では移住地の隣接日 《歴代会長》 初代会長 大川茂(故) 山下治、山田典夫(故)、織田幸夫(故)、武藤利太郎(故)、山口武男(故) 坂尻憲治(故)、広瀬義夫、田中得郎、小林勇(故)、西川修治、貴田孝平、 現在に至る。
1963年、南伯農業協同組合中央会は入植者全員を組合員として加入させ、開拓と 1970年、新農協法に基づきサンミゲール・アルカンジョ南伯農業協同組合を創立。 に亘って宜しく薫陶をうけたことを忘れてはならない。平松技師が高齢のため第一線を 南伯農協中央会は1993年、残念ながら解散とはなったが、拓殖部長唐沢正義、理事 なくして今日の農協は存在しないと言える。現在の移住地内組合員52家族の主産物は 当時37農協が各地に活動していた南伯農協グループも、今では7農協が存在するの があり、しかも二世諸君がリーダーとなって運営されていることは実に頼もしいことで
日本語モデル校では学校運営の方針として「公教育の理念に立ち、日本語教育を通 を目指す」を揚げ、教師と会員一丸となって努力している。ピニャール移住地における 1991年JICA青年ボランティア真家一教師の赴任で、充実した授業も行われ生徒数 JICAの支援を受けて日本語モデル校として完成、開校された。教師も青年ボランティア モデル校としての充実したスッタフとなり、教具教材も整備され、特にコンピューターを その後二代、三代、四代と続いた青年ボランティア教師の若さと情熱、それに刺激され 次の聖南西教育研究会主催のお話発表会での最優秀賞3作品を紹介したい。
1964年、山添ルミ教師の赴任で開校された当時は、4年生までで5年生以上は町の 1979年、JICAの補助金により校舎が建設され、1982年より8年生までの授業が行 学校名も移住地造成に多大な功績のあった南伯農協中央会拓殖部長・唐沢正徳氏の 現在、校長はマリア・ルイザ・ロドリゲスさん、教師18名、職員2名、生徒数658名、 2002年1月18日より幼稚園と小学校が市立となり5年〜8年生は州立校となった。 |