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ブラジル移民文庫 - 100年の歴史の集大成


すでに絶版になり(ほとんどが一回限りの出版)入手困難なこれらの本を対象とし、デジタル化して保存し、なお、コン
ピューター画面でも読みやすく編集しなおして、研究者および一般の人に再利用していただくのが、本文庫作成の目的です。
これらはブラジル移民共通の財産であるという立場から、本文庫そのものは著作権フリーの製品といたします。
第一版は「ブラジル移民100周年記念協会」の主催事業として製作されましたが、協会は2008年の記念行事をおえて目的
を達成いたしました。しかし「移民文庫」の編集作業は継続する必要があり、第一版にご協力いただいた人々を中心に「ブラジル移
民文庫の会」として続けてまいりました。
本文庫に作品を収録し公開することについて、それぞれの著作権者のご了解をえてありますが、くわしい内容は文末の「第一版へ
のあとがき」をご覧ください。
入力・校正 : 醍醐麻沙夫 技術協力: 大西道朗 / 石田勉

移民文庫の副産物
「ブラジル移民」=「苦労話」からの脱却
ブラジル移民というと、苦労した人たち、あるいは、日本が貧しかった時代の産物、というイメージがありま
す。これは一面では真実ですが、すべてではありません。
日本においてそういうイメージが定着したのは、おそらく、報道というものの性質にもよると思われます。安
定して生活している人たちより、苦闘している人たちのほうがニュースになりやすい。そういう報道が繰り返さ
れると、それなりのイメージが定着します。
ブラジルにおいても、あえて苦労話をとりあげた時期があった。移民50年祭、つまり第二次大戦後、祖国の
勝ち負けで二つに割れてしまった日本人社会が、ようやく融和に向かいだした時期ですが、第一回移民(笠戸丸
移民)の苦労話を大きくとりあげ「我々の先輩たちはこれだけの苦労をして、今日の日本人社会の基礎をつくっ
た。われわれも一致団結してがんばろう」という、いわば民族的なサーガがつくられたのです。
これは50年祭には意味があったのですが、以後の著述にも、このパターンが踏襲されたきらいがあります。
また、過剰な人口のはけ口としての移民が国策として送り出されたことも事実ですが、実際に事に当たった
官民の指導者たちは、けっして余剰人口の処理などではなく、あくまで「日本人の海外発展」という大きな目標で
動いていたことも事実です。
いずれにしましても、本「移民文庫」の目次を見ていただいただけでも、決して単なる「苦労話」だけでは括れな
い社会があったことをご理解いただけるのではないかと考えております。
http://www.brasiliminbunko.com.br


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